人生はスラップスティック

小説から新書まで

『光秀の定理』垣根涼介

本書はNHKの2020年大河ドラマ麒麟がくる』の原作に抜擢された。
本能寺の変」の現場には一切触れないで明智光秀を語るという試みを、本書は見事に成功させた。本書には凡庸の歴史小説とは異なる鋭さと輝きがある。

恐ろしく腕の立つ武芸者(新九郎)と世を悟っ切った僧侶(愚息)が、光秀と酒を酌み交わし軽口を叩く間柄になった。


光秀の定理 (角川文庫)

光秀の定理
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垣根涼介
角川文庫
2016年 ✳︎9

明智家は斎藤道三の親子喧嘩(道三崩し)のあおりを食って一族は離散した。光秀は室町幕府の再建と一族離散からの失地回復という夢を抱いている。37歳のときに信長に仕えた。
光秀は室町幕府から信頼され、室町風の典麗故事に精通している。兵術・兵法に優れ、見目涼しく挙措穏やかで、経験も知識も豊富にある。上洛した際には織田家の対外折衝役としてうってつけの人物である。
信長から光秀は重宝がられ、破格の待遇を与えられた。そうしてとんとん拍子に光秀は出世する。

タイトルの「定理」とは、愚息の博打理論のことである。四つの椀の一つに石ころを入れ、相手に石が入ったと思う椀を選ばせる。愚息が石の入っていない二つの椀を除き、残りの二つの椀から再び相手に石の入った椀を選ばせる。この手順で賭けの回数を重ねていくと、親である愚息が75%の確率で勝つという。
この理論を使って、光秀は山の頂にある城を攻める4本のルートのうち、敵兵がまったく待ち伏せていないルートを選び出し、落城に成功するのである。
「モンティ・ホール問題」として知られる「ベイズの定理」の応用例というのだが、愚息が75%の確率で勝つというのは、どうにも納得できない。

それはおいておくとして、「本能寺の変」から15年後、新九郎と愚息は光秀の思い出を語る。なぜ、光秀は信長を殺さねばならなかったのか。秀吉も柴田勝家も信長を殺さなければならないと一度は思ったはずだという。
光秀軍の中核は明智美濃源氏の郎党で占められた、いわば血族の連盟だ。家来たちには命を賭しても主君に従うという覚悟があった。しかし秀吉と柴田勝家には家来たちとの間にそのような信頼関係はなかった。したがって、信長を討つことは光秀だけが可能であったという。

信長はすべてを討伐した後、織田王朝を作るという「空恐ろしいこと」を考えていたのではないか。やがて御身は天子を超え、唐の皇帝のごときものに御成になる所存だろうという。光秀は座して独裁者が君臨する未来を待つよりも、たとえ勝算は低くとも、本能寺を襲う賭けに出たという。これが新九郎と愚息の見解である。

光秀の定理/垣根涼介/角川文庫/2016年
室町無頼/垣根涼介/新潮社/2016年

悪党町奴夢散際 乾 緑朗

幡随院長兵衛殺害のその後をミステリ仕立てにした圧巻の時代小説。文句なしの星10だ。
町奴の総元締め幡随院長兵衛が殺された。旗本奴の水野十郎の仕業ではないかとの噂が流れている。
江戸の市中では旗本奴と町奴が敵対している。旗本奴は士分である旗本の小倅たちであり、一方、町奴は同じ悪党だがそれぞれが仕事を持っている町人たちである。旗本奴と町奴は犬猿の仲で、なにかというと張り合っていて、道端で因縁をつけたり喧嘩になったりするのは日常茶飯事だ。


悪党町奴夢散際 (幻冬舎時代小説文庫)
悪党町奴夢散際

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乾 緑郎
幻冬社時代小説文庫
2018年 ✳︎10
売り上げランキング: 330,248

長兵衛は、水野の屋敷に呼ばれてから消息を絶ち、膾のように切り刻まれて神田川に浮かんだ。その1週間前に金貸しの座頭が殺されて神田川に放り込まれた。
町奴の夢乃市郎兵衛がお菊という女を寝取られたことで旗本奴を殺した。その仕返しに、旗本奴たちが夢乃と間違えて兄の四郎兵衛を殺してしまった。長兵衛が水野邸に出かけたのは、その揉め事の手打ちだろうと言われていた。

町奴は、夢之という何をしでかすかわからない爆弾を抱えていて、旗本奴の三浦小次郎は隙あらば水野を蹴落として主導権を奪おうと画策している。
そうしたむくつけき男どもの向こうを張って、「鶺鴒組」を率いるお吟はまだ16歳の小娘だが、町奴たちに一目置かれている。お吟は、師匠と仰いでいる女剣客・凄腕の佐々木累の道場に真面目に通っていて、剣と柔術ではその辺の男どもは到底歯が立たない。

一方、旗本奴側にも心が和む人物がいる。それは水野十郎の母お萬の方だ。阿波国徳島藩主である蜂須賀家の姫君だったお萬の方は、未だ30歳半ばで薙刀の使い手、十郎は頭が上がらないという設定である。好奇心旺盛なお萬の方は、旗本奴と町奴の抗争に首を突っ込みたがる。

事の真相が徐々に明らかになっていく。旗本の屋敷で開かれる賭場で、負けが込んだ年配の男が座頭から借金し、どうしようもなくなって首を吊った。その娘・お菊は座頭に仇討ちをしようと、佐々木累の道場を訪れるが、修行しても物にならないと断られる。そこで、お菊は夢之に近づき、色仕掛けで座頭殺しを持ちかけたのが事の発端だった。

長兵衛殺しの犯人探しで、旗本奴と町奴の関係はもつれ、そしてついに血で血を洗う全面戦争に突入する。

悪党町奴夢散際/幻冬社時代/小説文庫/2018年
機巧のイブ/新潮文庫/2017年